最近さ、ふと気づいたんだよね。自分の調子が悪いときとか、思うようにいかないときって
つい「環境が悪い」とか「上司のせい」とか「家族がわかってくれない」って言いたくなる。
でも、それって実はすっごく危ない思考なんじゃないか?って。今このブログ読んでるあなたも、もしちょっとでも「ギクッ」としたら…ようこそ、ガオガオワールドへ🐶🕶️
「環境や人のせいにする」ってこういうこと
「せいにする」って一見、分析っぽく見えるんだけど、実はこれって
- 「自分にはどうにもできません」って宣言してるのと同じ。
- しかも、思考停止スイッチが入っちゃう。
たとえば:
- 「職場がギスギスしてて仕事がやりにくい」
- 「パートナーが非協力的だから家事も全部私がやってる」
- 「今の業界が不景気だから自分は伸びない」
…ってね。
いや、気持ちは分かる。ガオガオだってそう言いたくなるときあるもん。 でもね、それを口にした瞬間、
『じゃあ、今この状況で自分は何ができる?』って思考が止まっちゃうんだよね。
責任を外に置くと、心も外注になる
これが一番ヤバい。
誰かのせいにするってことは、逆に言えば
「この状況の責任は自分にはない」
って言ってることになる。
つまり、
- 自分の感情のハンドルを他人に渡してる
- 行動の選択肢を“外側の機嫌”に任せてる
これって、まじで生きる気力削られるやつ。
他人も環境も、そう簡単に変わらない
現実問題としてさ、
- 上司の性格を変えることも
- 配偶者の考え方を180度ひっくり返すことも
- 世の中の仕組みを数ヶ月で変えることも
めちゃくちゃ難易度高いじゃん?
だから、変えられないものに怒ってばかりいると、消耗戦になっちゃう。
だったら?
自分の思考、感情、行動を変える方がよっぽど可能性あるし、現実的なんだよね。
「責任をとる」って、じつは自由への近道
ここがこの記事で一番伝えたいこと。
責任をとるって、「全部自分でやれ」ってことじゃない。 むしろ「自分の人生のハンドルを、自分で握る」ってこと。
たとえば:
- 上司の愚痴を言う代わりに「自分が巻き込まれない工夫」をする
- 家族への不満の代わりに「伝え方を変えてみる」
- 業界が厳しいなら「副業で試す」とか「学び直す」って動いてみる
すると不思議なことに、
自分が何かを変えられる実感=“自由感”が増してくる。
これって、他人や環境のせいにしてたときには絶対得られなかった感覚なんだよ。
まとめ:責任をとると、世界がひらける
「自分には何もできない」「誰かが変わるべき」と思ってた時代は、正直しんどかった。 でも、「自分ができること」に目を向けてから、人生ってちょっとずつ前に進むようになったんだよね。
最後にこの言葉を残しておくね👇
責任をとることは、自分の人生に参加すること。
さあ、今日もハンドルは自分で握っていこうぜ💪
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